まるまるにっき

アラサー、一児の母、転職活動中です。

雨傘さす夢

ちりんちりん、と心地の良い鈴の音。

ずっしりと重い、お世辞にも開けやすいとは言えない木製のドアを押し、一歩進んだ先に広がるコーヒーの香り。

落ち着きのある「いらっしゃいませ」。

何も口にしていなくても多幸感に包まれ、来てよかったとさえ思わせる空間。

 

わたしはカフェが大好きだ。食べることも好きだがあの落ち着きと高揚感が同居する独特の空間がなんともいえない。小学生のころからケーキ屋になることが夢でひた走って30歳、予定とは違う形にはなってしまったもののケーキ屋で働き、夢をかなえることができた。が、二十歳ごろから別の夢も抱いている。

カフェ経営がしてみたい。

 

もういい大人が夢だなんだとなかなか言えず、「人生が二度あるなら次はカフェオーナー」と控えめに言っておきながらもその夢は捨てきれずにいる。あきらめの悪い性格がここでも悪さをしてしまっている。逆説的に言えばカフェオーナーをすべく二度目の人生を迎えるためには一度死ななければならないのだが、あいにくの健康体でこの人生もまだまだ続きそうだし、なんならもう少しこの世界戦を楽しんでいたい。

 

「パンとスープと猫日和」というドラマを見た。

ひょんなことから主人公が運命に導かれるようにしてカフェを経営しすったもんだある話のようだ(まだ半分も見ていないので手持ちの情報もこの程度)。まさに理想の展開である。作中のカフェで出されるサンドウィッチさながら、大変おいしい展開だ。うらやましい。私も何かしらの運命らしきものに引っ張られてうっかり手を出したカフェがそこそこ繁盛する展開に巻き込まれたい。そのためなら苦手な猫も飼うし長年克服できないでいるシイタケだって食べる。

 

そんなしょうもないこと考えながら梅仕事をする梅雨前の雨降る夜。次の休みはカフェ開拓でもしようかな。

何者にもなれなかった者になったわたし

自分とは。
30を目前にして今更とも思えるような悩みに直面していた。SNSできらびやかな生活を送る同世代たちの投稿を鼻で笑いながらもどこか羨ましいと思っていた。鼻で笑っていたことも羨ましいと思っていたことも誰にも知られたくはない。

2年前に結婚し、今年第1子を出産した。
今まで鼻で笑ってきたものだから結婚したときも出産したときもわたしがSNSを更新することはなかった。わたしの知らない誰かに鼻で笑われるのが怖かったからだ。そしてこれはわたしの小さなこだわりだが「どこかミステリアスな人」でありたいと思う自分がいる。これもあまり人に知られたくはない。

わたしは出産を期に転職することを決意した。今までの仕事では子供がいる生活リズムと合わせにくいことが大きな理由だったが、長い人生1度くらい転職の経験があってもいいのではないかという考えもあった。

そしてここで出会った、「自分とは」。
ダラダラ働き続けた10年間、得たものが全くない訳では無いが特に履歴書に胸を張って書けるものも面接で堂々と披露できるものも何もなかった。転職サイトを眺めるも頭の中は「だって」と「でも」が大渋滞である。わたしは30手前まで生きても何者にもなれなかったのだ。ほとほとSNSのみなさまがうらやましくきらびやかに見えて仕方がない。

今までを振り返ってみても悲しくなる。ずっと誰かが敷いたレールの上をぼんやりと走っていたのだ。親が勧めた高校へ進学し、先生が勧めた就職先を選び、年功序列で昇格し、プロポーズされたから結婚した。

家計と生活を支えるための転職とはいえ、ある程度仕事は選びたいと思ってはいる。しかし、やりたいことが何一つ思い浮かばなかった。「自分とは」が見つけられない、「何者でもない自分」を受け入れてくれる転職先なんか一生見つからないのではないかとさえ思っている。

そうは言ってもやるしかない。妻だから母だから女だからと仕事から逃げる訳にはいかない。我が家は旦那1馬力で走れるほど裕福ではない、というのはできる限り小声でお伝えしたい。彼にもプライドというものがあるのではと思う。

どうか、「何者にもなれなかった者」になったわたしがどんなレールを選びどんな自分を見出すのか、暖かい目で見守っていて欲しい。

いつかわたしも誰かの「羨ましい」になりたいのだ。

美女と八重歯

「書くことなし」

 

小学生のころ、交換日記がはやっていた。例外なく私も仲のいいクラスメイトと交換日記をしていた。毎日会い、毎日会話する。小学校とはそういう環境だ。にもかかわらず交換日記をしていた。口頭ではいけないのか。よくわからないが交換日記をしていたのだ。そしてその大きなページにやや控えめにこう書く。「書くことなし」。

当然だ。さっきまでしゃべっていたのだから。

 

こんなくだらないことを真剣に考えてみる。そういうブログにしていこうと思う。何を書こう。できれば「書くことなし」以外がいい。

 

本州のすみっこの方でひっそりと暮らす、30を目前にしていることに目を背けながら生きている人間の「今日のできごと」に読者はどのくらい興味があるのだろうか。拍手はしなくていい。手はお膝でお願いしたい。需要と供給が一致しないのは世の常だということを理解したうえで、本州のすみっこの方でひっそりと暮らす、30を目前にしていることに目を背けながら生きている人間の、それも先週2019年10月13日日曜日の出来事をぜひ読んでいってほしい。

 

この日はしばらく会っていなかった先輩と話をする機会があった。こうしてゆっくり話すのは4年ぶりくらいのことであった。二人とも思っていたよりも歳を重ねてしまっていて、お互いの成長もとい、劣化に驚いた。しかしそうは言っても先輩は見た目27歳、実年齢31歳の美魔女である。そういえば何年か前に送ってくれた年賀状に「歯の矯正をはじめたので美しくなったわたしのお口をぜひお見せしたい」と書かれていたことを、今思い出した。ガタガタの歯並びと小さく出た八重歯が印象的だったが、そのチャームポイントを抹消してしまったらしい。それた話を戻そう。そんな先輩に「全然変わらないですね」と言ったところ「見た目だけ歳とってイヤになる。気持ちは中二」と笑ったあと、こう続けた。「だってまだ、〇んちんとかう〇こで全然笑える」。

 

わかる。

 

美魔女の美しく歯列矯正した口から飛び出す「ちんち〇、うん〇」は実に破壊的であった。爆笑である。世間でいうオトナたちは何歳の時そのお下劣ワードを卒業したのだろうか。卒業資格が年齢ではないことだけ実証済みなので何か特別な資格が必要というのならぜひ教えていただきたい。

 

こんなどうしようもない記事を書いたあと、私は通常通り出勤する。少し身を晒すと、地元のケーキ屋で販売をしている。1週間前の「ち〇ちん、〇んこ」の話に口元を緩めながら、なれないブログにしたためた私から買ったチョコレートケーキのお味は一体どんなものなのだろう。

 

「書くことなし」は回避できたが、このレベルの記事では書かない方がよかったのではないかと後悔の念が押し寄せるが、どうしても「削除する」ボタンをクリックできないでいるのでそのまま投稿してしまおうと思う。

この週末、何の予定もなくこんなくだらない記事で時間をつぶしてしまったあなたに心から感謝いたします。

ごはんのあとの献立

毎晩夕食を食べる。

食いしん坊の私にとって夕食は欠かせない。どれだけ疲れていても何か食べたい。故に痩せない。

 

少し古風で面倒くさい性格なので「いただきます」と「ごちそうさま」は必ず言うことにしている。少なくとも心の中ではこっそりつぶやいている。

 

そして「ごちそうさま」のあとに私が考えていることは「ああ、あしたの夕食は何にしようかな」である。例外はない。貧乏なので必ず自炊だし鶏肉はモモよりムネ派だ。

もはやネタ切れ状態である。さまざまな料理アプリやサイトを駆使し、日々おいしいムネ肉料理を検索している。正確には「ああ、あしたのムネ肉はどう調理しようかな」である。食事中はもちろんしっかり味わうために今食べている料理のことを考えている。そして食後に「ああ、あしたのムネ肉はどう調理しようかな」である。

 

大変残念だ。

この話にオチはない。ごはんのあとにムネ肉に想いを寄せるアラサーの悲しき日常をここに書き留めて第一回目の投稿としたい。

最後まで読んでいただきありがとうございます。次回はもう少し脂ののった話ができるよう日々生きていきたいと思う。